

この国を憂うのは尚早か--2007年を振り返る
http://japan.cnet.com/column/mori/story/0,2000055916,20364018,00.htm
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http://japan.cnet.com/column/mori/story/0,2000055916,20364018-3,00.htm
森祐治
2007/12/26 17:37
テクノロジーを身近に感じる人にとっては大きな変化がここ数年続いているが、社会制度はその変化に抵抗していると感じることが多い。他先進国でも、テクノロジーによる社会変化に伴う軋轢は生じているものの、日本ほど抵抗が強い国はあまりないという印象がある。「このままでは日本が取り残されてしまう」という議論も飽きが来るほどなされているが、一向にそれへの処方箋が不在のまま1年がたってしまった。
翻って2007年を見ると、現象としては予想した通りのことが観察されたものの、肝心なことが実現していない、むしろ後退しているという現実がある。 Second Lifeというこれまでとは異なる世界や身体性への注目、ニコニコ動画に代表されるような新たなコミュニケーションが現れた点で、予想したとおりとなった。しかし、「あちら側」と「こちら側」を個人の体験というレベルではなく社会として受け入れ、それをより発展させることで、この国の閉塞的な状況を打破するという部分は少なく、これまでの現実の問題点が浮かび上がるだけだった。
強固な制度や行動様式が確立されている日本のメディアやコンテンツ産業では、一定の様式(フォーマット)においてきわめて高い表現内容(コンテンツ)が生まれてくるが、それはその様式の範疇において成立することしかできない。一方、欧米の産業では、表現様式そのものが常に変化を求めており、コンテンツは多様性を持つことが重要とされるといった説明をしている(容器の底の部分の形状もネタの一つだが、今回は言及しない)。
どうやら、社会の変化に対する状況にも全く同じチャートを使って説明ができそうだ。何らかの理由で変化が生じた(ウェブなど)ため本質的な器の変更が必要にもかかわらず、以前としてその器を使いたがる傾向が強いがために、変化を受けいれることができないという、過剰な慣性があまりに強いのだ。
空気を読むな、発信せよ
この過剰な慣性の強さは、以前から日本という国(あるいは文化)の特徴といわれてきた。一方では、この慣性が崩れるときは一瞬にしてすべてが変化するのだ、とも数多くの指摘がなされている。そんな破壊的な変化への対応力は他国の比ではない、という認識があるがゆえにこの過剰な慣性が生じている、というパラドキシカルな指摘すらある。
これまでであれば、この国というコップの中での嵐であり、それを耐え、あらたな状況に対応するための猶予もある程度許されてきた。しかし現在では、グローバル、あるいはリアルタイムコミュニケーションという現実がそんな前提を突き崩してしまってはいないか。
そんな中で、今年の新語・流行語大賞の1つに「KY(空気が読めない)」が選ばれたが、そんな言葉は正直言って僕にとっては寝耳に水なコトバだった(ほかにもリストに挙がった言葉の多くがやはり「?」だったので、僕が時代に取り残されているだけなのかもしれないが)。しかし、この言葉が日本の過剰な慣性の構成要素を示していることは明らかであろう。周囲の様子を見て、その状況を感受することに価値を置くがために、本質的な変化へ対応できなくなる、国民総がんじがらめ状態を甘受するためにはぴったりな言葉だからだ。
昨年のWeb 2.0からどんどん話がドリフトした。世界で最も国民一人ひとりは金持ちだが、今後緩やかな衰退が確実になりつつあるこの国を憂いているのは、明らかに Web 2.0の状況に個人レベルでは対応できているにもかかわらず、社会全体では依然として不協和の状況が続いているこの国の矛盾がきっかけだ。
世界でもっとも消費者の品質センスが高く、多くのブランドカンパニーがフラッグシップショップを持ち、テストマーケティングをする国、日本。しかし、この国には、いくばくかの報道があろうと、依然として垂直統合を崩すiPhoneのような商品は上陸しない。
制度などが旧態然であるがゆえに、個人が経験できるイノベーションにも自ずと限界が来る。そして、世界で最も裕福な国民であっても、世界のほかの国では常識となっているサービスを享受できない、あるいは極めて限定された利用であったり、享受するためにはとてつもなく面倒で高価な手続きを経る必要が生じたりする国になってしまう可能性がある。
単に憂うだけでは意味はない。そして「空気を読んだ」と称して問題を見て見ぬふりをするのではなく、今僕らが手にしているウェブというツールを用いて積極的な情報発信をしてはどうだろうか。納得がいかないことには、素朴に「なぜ?」と問いかけるだけでもいい。そんな1人1人の思いが集い、そして大きな束になって、やがては社会の常識を、そして体制を変化させるきっかけになればと思う。来年こそは、そんな変化が訪れる年になってくれることを祈りたい。
・・・うん。その通りだと思います

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そういう思いでau oneブログを続けてます。
おぉ・・・同志w
全くですね、僕も同じ気持ちで記事を書いてます